娘の現状を知ってから、お経を唱えるときは必ず娘を光で包み守るイメージで日々唱えていました。
娘に入り込んだ闇を吸って、息子に体調不良として症状が出ているとすれば、遠回りに見えても娘の浄化が進めば、息子の体調にも変化が表れるということ。
娘の浄化を始めてから、表立って娘に変化が表れる訳ではなく、あいかわらず息子の体調も、頭痛にめまいに腹痛に吐き気に波のある日々が続きました。
事態が好転しないことに心が折れそうになるとき、皮肉にも、病院であらゆる検査を受けても異常が見つからないという事実が、表に原因がないのなら裏で浄化するしかないと、私たちの背中を後押しをしてくれました。
そうしているうちに、娘が高校で、突然激しい腹痛とともに歩いていると目の前が暗くなり見えなくなるという症状が出ることがありました。
事態が好転どころか悪化しているのではと不安に思いましたが、今思うと闇に入り込まれて麻痺していた状態が浄化が進むにつれ、闇に対する拒否反応として出るようになったからこその症状だったのではと思います。
実際に、当初霊能者の方が娘の部屋に入った途端に、冷気と、さまざまな違和感(頭痛、めまい、痺れ)を感じて身震いをされていましたが、長くかかった浄化があらかた済んだ後、重い空気感がなくなったと驚くほどの変化がありました。
娘の浄化の主な流れは、主に私たち親が日々お経を唱えることで闇を炙り出し、霊能者の方が来られた際に一緒に浄化することでその闇を斬るを繰り返しながら根源の大きい闇の浄化に至った流れでしたが、結果的に1年近くかかりました。
浄化の区切りがついた瞬間のことは忘れられません。
過去世で闇にさらわれて苦しい思いをしていた娘の魂が、
「苦しかった、、」
「これでやっと御仏様(光)の元に戻れる、、!」
と泣いている。
その後娘の魂が泣きながら“お母さんー!“と私のところにスーッと行くのが視えた、とのこと。
やっと娘の魂を取り戻すことができたことに涙が止まらない私とその光景が見える霊能者の方も涙ぐみ、
なんとも言えない感動の瞬間でした。
奇しくも、母の日だったその夜に浄化の件を知らない娘が普段書かない手紙を書いてくれたことも、改めて感慨深く本当に嬉しかったことを覚えています。
その頃にはあれほどひどかった息子の症状も少しずつ落ち着き、登校できる日も増えて、事態が好転したことをやっと実感できるようになりました。その後も体調の波はありつつも、本当に安定したなと思える状態になったのはさらに半年後でした。
学校にも行けないどころか起き上がるのもしんどかった状態を思うと、今や大好きなスポーツにも復活してレギュラーとして真っ黒に日焼けしながら活躍している息子の変化は奇跡でしかないのです。
そしてその葛藤を全て見守られていた御仏様が何よりその成長を喜ばれていることも教えてもらいました。
その経験は、見える世界だけを認識して生きていた私たちの概念を根底から覆しました。
娘や息子の浄化の区切りがついた今でも当たり前の習慣として日々家族を守れるよう、光のガードをイメージしながらお経は唱え続けています。そして、それは息子が体調不良となるほぼ同時期に倒れて今も話せない、動けない私の母の浄化のためでもあります。
娘の浄化中、霊能者の方に視えた裏の世界で起こっていたことはまさに“現実は小説より奇なり“でした。
表の世界で倒れて動けない母は、裏の世界ではそれ以上娘や息子に闇が近づかないよう、左手で闇の一部を捕まえて必死に離すまいとぐったりするまで頑張り続けていたようなのです。
浄化が進み、その光景にたどり着けた霊能者の方が、母が握りしめていた闇を一生懸命斬ってくれたことで、やっと母は手の力を抜き楽になれたとのこと。
それを聞いて、病院に面会に行った際、右半身麻痺した母が、ベッドに寝た状態なのに動かせる左手に力を込めてベッドの柵を握りしめていたので、そんなに手に力を入れて握ってなくて大丈夫よと何度か声をかけていたことを思い出しました。
なぜ母がそうしていたのか、その意味が分かった時涙が止まりませんでした。
我が身より孫を思っての行動は母らしいと思うと同時になんとか母を救いたいという気持ちを強くしたのです。
そして、裏の世界で孫を守ろうとしていたのは私の母だけではありませんでした。
夫の母は、娘が2歳の頃に急死していますが、過去世で娘と関わりが深かったらしく、娘に近づく闇から守ろうと奮闘している姿が見えるとよく言われていました。
夫の母自身も闇にやられた経験があるので闇に対する憤りも強かったようです。
だからこそ、浄化が進んで娘の魂がやっと光の世界に戻れたとき、我がことのように喜んでくれていた魂の存在たち、そのありがたさは計り知れません。