私たち家族は、過去世でも家族だった時があるようです。
何度も魂は生まれ変わっているので、今世があるということは、過去世もあり、未来世もあるということ。
いま家族として過ごしている魂とは過去世でもご縁が深く、あるときは夫婦としてあるときは親子として形を変え、生まれ変わることも多いとのこと。
生まれ変わる目的は、本来の魂の姿とは違う姿で生まれ変わることで、いろんな経験・感情を味わい、「魂を磨いて元いた光の世界に戻るため」と言われています。
全てを忘れてゼロの状態から産まれてスタートする魂が多い中、前世の記憶や産まれる前の空の上の記憶を持ったままの魂も珍しくありません。
また、過去世で解決できなかった問題を、次に生まれるときの課題として自分で決めて生まれてくることも多いようです。
でも、経験の中でひどく傷つくこともあります。
トラウマや因縁、あるいは闇に入り込まれると魂の傷として残り、生まれ変わってもそれに気づかずいると、魂は磨くどころかどんどん暗く重くなってしまいます。
その黒くなった魂を本来の綺麗な輝ける状態にすることを「浄化」といいます。
そして「浄化」とは、綺麗な魂を利用しようとする闇を斬ること、過去の因縁や、過去世を知ることで当時の思いを昇華することも含みます。
その浄化の手段が「お経を唱えること」「闇を斬ること」なのです。
お経を一心に唱えることで、私たちの魂の修行を見守ってくれている光の世界の神様・御仏様とご縁が繋がります。
さらに繰り返し唱えることで、最初は見えない糸のように細いご縁が、少しづつしっかりとした太いご縁に変わっていく、そんなイメージです。
誰かを守りたい、救いたいなど、唱える人の心持ちが綺麗だとお経に“いい波長“が出て、“一生懸命唱えているのは誰だ?“と神様・御仏様のところまで届くようなのです。
神様仏様の存在を感じられると、本来の魂は全て覚えているのため、言いようのない安堵感や懐かしさに感極まってなぜか涙が出てとまらない人もいます。
子供の頃から人一倍感受性の強かった私の妹は、前世療法で過去世のトラウマと対峙し、それを見守る黄金に光る神様たちから『よく頑張っている』と言葉をかけられ、あまりの光景に大号泣したそうです。
見えない世界を遠い絵空事ではなく、“見えないだけで本当にあるもの“と近くに感じると、物事の捉え方や視点が全く変わってくるのです。
神様仏様とご縁が繋がったからといって、困っていると全てに手出しして助けてくれる訳ではありません。
もがきながらも成長しようとする姿を、いっぱい修行をして戻ってこいと大きな愛を持って見守ってくれているのです。
私の本来の魂は、巫女の魂のため、巫女の姿の私が今世産まれる時に、「では修行にいってきまーす!」と天上から颯爽と降りる姿が見えるそうです。
そして天空からは、いろんな経験をする中でそれでも魂が汚れることなく綺麗なままでいられるか、見守られているとのこと。
それを知ると、今味わっているしんどい思いも辛いことも嬉しいことも全ての経験がとてつもなく貴重なことと思えるようになりました。
ただ唱えるだけで何が変わるのか理解できなかった私が、3年かけてやっと辿り着いた「お経を唱えることの意味の深さ」です。
昔は日本は各家に神棚があったり、神社にお参りしたり、目には見えない神様・仏様の存在が今より近かったようですが、残念なことに今は目に見えない存在は昔話や架空の存在のように遠いものになっているように思います。
「たかがお経、されどお経」
「お経」のように昔から引き継がれるものには、引き継がれるべき真価があるんだなと改めて思うのです。